立春 

昨日は節分、1年24節気を分ける節分でいつ始まったか知らんが恵方巻を齧った。その家によってやけど我が家は豆まきはせなんだ。私の子供のころから正月前の大晦日に豆をまいたので、、、私が子供のころは旧正でちょうど2月初めが多かったので節分もしておけということからかした。その風習を受け継いで年末にしたもんで、、、、今日は立春、寒さ極まって春の気が立つということらしいです。我が家の庭にある梅の花も咲いてきた。どこかの川柳に 梅一輪一輪ほどの暖かさとあった。やがて春 春はそこまで 昭和生まれのわが身は寒いののは古傷も痛むし 春が来るのを待つのみです。冬の夜空を彩っていたオリオン星座群も未明には熊野の山に隠れ替わって蠍座が顔を見せてきた。 農事歴で言う八十八夜や二百十日はこの日から数えます。志摩沖の水温17,9度もうすぐ春です。、、、

避難

能登半島地震から早ひと月,被災された方にはお悔やみお見舞い申し上げます。私も避難の体験がありますで身に染みています。ただ私の場合は9月26日で暦の上では秋だったが翌日は残暑が厳しい日やったで幸いやったけど、、能登の方々は不便な上に寒さも身に染みて大変でしょうが前に向かって進んでください。わが愛妻が東北出身でありますので震災の後東北に車で支援品を積んでいったときに、トイレに 復興もトイレも一歩前にと書いてあったのを記憶しています。いい方は悪いけど、その落書きにも東北人の根性を見たような気がした。 私の場合は、行政が落ち着くまでがれきの陰で夜露をかわしていたが数日たってから公民館に避難したのを記憶しています。そこから学校に行ったけど教科書も何もないので隣の席の女生徒の本の片方を持ちながら学んだように思う。思春期やったで恥ずかしかった。先生に家屋のかたずけがあるなら学校に来なくても出席扱いにしておくと言われたのをいいことによく休んだ。衣類を洗ってしまうと乾くまでパンツ1枚でした。食料は砂浜に寄った魚介類をがれきの中から取り出した味噌樽の味噌と調理して食べた。史上まれな台風やった。この15号台風はのちに伊勢湾台風と命名されて今も伝えられています。私自身もその後の半世紀余りを生きて現在に至っております。能登半島の方々も元気で半世紀を超えて生きてください。

今志摩沖は水温17・9度だんだんと春めいてきています。、、、よろしくです。

雨の大寒

今日は1年24節気の大寒です。一年のうちで一番寒くなるころでこの名がついたと思います。昨夕から降り続いている雨は私が布団を出るころも降っていて、夜が明けてもやむことを知らないかのように降っています。夕刻の今もしとしとと、雨の大寒です。前線が発達しながら太平洋岸を東にすすんでいるので東寄りの風がまくり波を起こしています。港に船を見にいった折に他船の様子も見たが全船係留中でした。待てば海路の日和ありではないが、、、安全第一の考えで休んでいると思う、私もなすすべがなく晴耕雨読としゃれています。若い頃司馬遼太郎の本に夢中になって求めた本を終活のつもりで出して、目を通してから決められた日の資源ごみと出すになかなか先にすすまずに妻の小言を浴びています。

この雨被災地の能登半島の方々大変や思います。月並みの事やけど頑張ってくださいねえ、少しやけど義援金を出させてもらいました。、、大寒の次は立春、、冬来たりなば春遠からじと言いますで頑張ってください。、、

昨日の志摩沖の水温17,8度沖合でビンナガマグロや大判のカツオが出てきました。。。

御座不動尊

熊野灘の北東辺にあって四面海に囲まれた前島半島の西側に御座地区がある。そこの山のふもとに不動堂がある。遠い昔空海が全国を行脚したときにこの地にわたり護摩を焚き、大地から生えたようにした自然石に自らの爪でもって不動尊を描いたといわれる。日本3大不動尊と石碑が建っていた。昔は御座地区1村ならず東海地区全般に名をはせたけど、先進国になって景気がよく生活が安定すると神頼みが下がるのだろうか?。出店は勿論参拝者も少なかった。御座地区の青年団や青年会の方々が頑張って手伝っていたけど、、、今は亡き私の父親が大の信者でいつもの年の今日の縁日に参拝していた。朝からの強風寒波で私も船を見回ってから足を延ばして不動堂の前で一心不乱になって般若心経と不動明王真言唱えて、お客さんの安全とわが身の安全とを祈った。   打ち枯れたようにしてあった弘法井戸も立派に復元してあった。これからも暇があれば行こうと心新たにした日でした。  またここは桜の名所でもありますからお客さんもよかったら、、、

謹賀新年

明けましておめでとうございます。

晩によく降った雨も未明には上がり、張り出してきた高気圧に押されるように東に去って、西高東低の気圧配置で風がまくっています。

31日の雨の合間に船のマストに掲げた大漁旗が強風にはためくように音を立てています。

昨年はお世話になりました、本年もよろしくお願いをします。取り巻く環境は厳しいものですができる範囲で努めますのでよろしく、、、

鏡開き

遅くなったけど明けましておめでとうございます。本年もよろしくです

今日11日は鏡開きです。神棚に供えた鏡餅を開いて、雑煮にしたりあんころ餅やぜんざいにして食べて一年お無病息災を祈る日です。船神さんに供えた鏡餅を下げてきて家で開いた。この鏡餅は刃物で切ったりするとご利益が薄れるので木鎚でたたくように教えてもらった。それをして妻に渡した。、、東北出身の我妻は腕によりをかけて得意の餅をしてくれると思う。早朝に出船し腹をすかして帰宅したので、、もう涎が出てきた。男は漁師女は海女として栄えたこの町は私が子供の頃は浜を祀る習慣があって、子供たちが早起きをして岩場に神床をこさえてそれに備えてくれる餅をわがものとした記憶がある。いつの年やったか記憶が薄れたけど其れで5キロくらいの餅を家に持ち帰ったことがあった。幼い弟や妹に食べさせたことがあった。遠い昔の話で今はもう、、、特に漁業が悪いと、、地球の温暖化か海流異変か海洋汚染か浅学菲才のわが身にはわからんけど、、ここ数年漁業を取り巻く環境は厳しいです。鏡餅を開いて齧り付けばよくなるかなあ、、と案じながら開いた。  今日現在の水温17.6度すぐ近くで鰹やビンナガマグロのにぎあいが出てきました、、、

ゆく年くる年

早いもので今年も大晦日、未明4時に戸外に出て観天望気してから車に乗って漁港え、熊野の山に隠れそうになるオリオン星座を見て、6時出港した。穏やかな日であった分放射冷却で冷えて風が吹いたけど太陽の上昇とともに緩んで釣り日和であった。帰港してから一年の垢を落としつつ感謝を込めて船を洗った.わが県が生んだ俳聖と言われる松尾芭蕉さんの「奥の細道」の冒頭の文句に  月日は百代の過客にして行きかう年も旅人なり、船の上に生涯を浮かべ馬の口輪を取りて老いを迎えるは日々旅にして旅を住みかとする、、とある.それから言えばわが人生は旅であったかもです。。、、それならそれで、旅路という本を書こうかなぁ、、今年も多くのお客さんに来た頂きました。、、ありがとうございます。くる年もよろしくです。が、海は志摩沖ならず各地で海洋汚染か海流異変か浅学菲才な私にはわからんけど普通じゃないです。多くの方に大漁を喜んでもらえたのも今は昔です。地球の温暖化のこともあるんやけど今日現在の水温は18度です。、、いろいろ考えながら帰宅して総着かえして一年の無事と海上安全に感謝してくる年もよろしくの意を込めて浜と船を祀った。船は松竹シシバを縄で結んで、浜は膳に、ダイダイ、重ね餅、イセエビ、鰹節、洗米とお神酒、浜の裾に供えて今年のお礼とくる年もよろしくとの意を込めて祀った。酔った身体を冷やすのに戸外に出たらオリオン座が昇りかけていた。、、、

冬至

今日は冬至、妻が入れてくれた柚子風呂に入った。湯上りに3杯ほど飲んで書いています。一年中で一番日が短い日です。強風の中を見ていたら午後4時半頃に熊野の山にお日様が入った。旧歴も明日から師走です。今日から冬に至る、、今日から立春まで真冬で冷たい日が多いです。御身大切に春が来るのを楽しみに指折り数えて待っていてください。冬来たりなば春遠からじ、、と言いますで、、そしてもう年末、、あといくつ寝るとお正月、、、の歌があります。童心に帰って歌いますか?。健康に気を付けてお過ごしください、、

今年最後の月夜

日中は仕事をしていると汗ばんでくる。 先月はともかく今月は12月やのに日中は比較的暖かい日がつずいていますが夕刻になるとやはり季節相応の冷えがある。その冷えてきた空に月が昇ってきました。今年最後の月だそうです。熊野灘の北東辺にあって、男は漁師女は海女として栄えた漁師町で,伊勢海老業者は30隻くらいですが、その伊勢海老漁は月夜に入ると休漁で休んでいます。この漁師が休んでいると浜も活気がない。1隻で2人が従事しても60人やでその家族を入れると、、、3年位前から漁獲高が落ちで大変です。そんなことを考えながら酒量を増やしています。過去に読んだ本の話やけど、、第二高等学校で教鞭をとっていた土井晩翠が眠れぬ月夜に青葉城址に行き 秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて  と詠んだのも今頃やと思う,吾輩も遅まきながら小高い丘の上で詩でも作ろうかなあ、と思っています。旧暦11月16日 霜月の月夜です。 

小春日和

陰暦10月を神無月と言いその月の穏やかな日を小春日和と言います。今日がそうで穏やかでした。ただこの日になると、未明の気温と日中の気温の差が10度を超える時がある。未明3時戸外に出る習性となっている観天望気をするに首を上にあげると満天星空です。天空にカペラ、その下にオリオン座のリゲル、ペテルギュウス。囲まれた3っ星を南東に伸ばすとシリュウス。北十字星、、北の空に指極星の北斗七星、、若い頃、マグロ船の船長をしていて船位決定にこれらの星のお世話になった。六分器なる機器で高度を図って表計算で位置の線を出し2本の線が交わったとこが船位として決定してケープの沖から大西洋まで入っていった事がある。大過なく過ぎた青春の頃を思い出しながら見ていたら寒くなって急いで上着を着た。午前5時半出港しお客さんに釣りをさせる。太陽の上昇とともに汗ばんで上着を脱ぐことになる。納竿して港に着岸すると小春日和ゆえに汗ばんでくる。、、、今日現在の志摩沖の水温は22.7度、、、魚は喰い立っています。