避難

能登半島地震から早ひと月,被災された方にはお悔やみお見舞い申し上げます。私も避難の体験がありますで身に染みています。ただ私の場合は9月26日で暦の上では秋だったが翌日は残暑が厳しい日やったで幸いやったけど、、能登の方々は不便な上に寒さも身に染みて大変でしょうが前に向かって進んでください。わが愛妻が東北出身でありますので震災の後東北に車で支援品を積んでいったときに、トイレに 復興もトイレも一歩前にと書いてあったのを記憶しています。いい方は悪いけど、その落書きにも東北人の根性を見たような気がした。 私の場合は、行政が落ち着くまでがれきの陰で夜露をかわしていたが数日たってから公民館に避難したのを記憶しています。そこから学校に行ったけど教科書も何もないので隣の席の女生徒の本の片方を持ちながら学んだように思う。思春期やったで恥ずかしかった。先生に家屋のかたずけがあるなら学校に来なくても出席扱いにしておくと言われたのをいいことによく休んだ。衣類を洗ってしまうと乾くまでパンツ1枚でした。食料は砂浜に寄った魚介類をがれきの中から取り出した味噌樽の味噌と調理して食べた。史上まれな台風やった。この15号台風はのちに伊勢湾台風と命名されて今も伝えられています。私自身もその後の半世紀余りを生きて現在に至っております。能登半島の方々も元気で半世紀を超えて生きてください。

今志摩沖は水温17・9度だんだんと春めいてきています。、、、よろしくです。

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