東北大震災

伊勢志摩国立公園の前にあるからか、大王崎を東端にして西に延びる南北に短く東西に長い此の半島を前志摩半島とよぶ方もいる。その半島の中央部にある和具地区、昔は和具町であったが合併して志摩町になったのは私が小学生の時やと思う。男は漁師女は海女として栄えた漁師町で,畑や山の成物は俗にいう 桃栗三年柿八年梅は酸い酸い十三年と長きの年がかかるが海に入れば即食になる魚介類があって、猫の額のような土地にしがみつくようなことをせず多くの先達が海に活を求めた。沿岸から近海へそして遠洋へと、、、黒潮の狩人として働いた親父が鹿児島の枕崎から東北の気仙沼から名産が届いたのを記憶しています。あの時代は親の背を見て育ち親と同じ道を歩むのを良しとした時で、その通りにした。初めて入った気仙沼は五里霧中やったけどだんだん慣れて知り合った看護師と結婚をして早半世紀が過ぎ、知り合っときはこの国が発展途上国であって道がぬかるんでいるとこが多かったが段々直されて、経済大国になったらすごく立派になって、、その気仙沼市が東北のあの震災でさんざんになって、、、わが目を疑った。家内と一緒に支援物資を積み行ってから十三年か早いのか遅いのかいろいろやけど、、寄付もしたけど少しやで焼け石に水かもです、、それから今年は能登半島、、大自然のなせることに呆然とするのみです。東北の方、能登の方前に向かって進んでくださるようにお願いします。今志摩沖は水温18度で沖合でビンナガマグロやだいばんのカツオでにぎあっています。、、、よろしくです。

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