2月に入った

めぐる季節は今日から2月に入った。2月の別名を如月と言って、、一説によれば寒くて衣類を着重ねるから来ているという、、一年のうちで一番寒いときやもんねえ、、寒いです。、、、午前4時に戸外に出ると今日はそうでもなかったが車のフロントガラスが凍てついているときがあった。、、しかし、この寒さがなければ季節が廻らんように思う、、諺に 冬来たりなば春遠からじ と言われるもんねえ、、1月の半ばの未明南東の水平線から顔を出してきたさそり座が今日は中天まで上がり、獲物を狙うかのように大きな爪を天にあげていた,、代わって冬の夜空を我が物顔にしていたオリオン座は熊野の山に隠れた.、、盛唐の時代に詩聖とうたわれた杜甫の詩に  人生相見ざることシン「オリオン座」と商「さそり座」の如しとある。星の動きを見ていると寒さも忘れます。、、今日志摩沖の水温は17.8度  沖合の18度台の汐でビンナガマグロの毛があって兄貴や仲間の漁師が格闘しているが少ないですやがてやけど、、、

小正月

今日1月15日は小正月と言って、熊野灘の北東部に浮かぶようにしてある前島半島は作何末の吉日に掲げた門松を外す日です。我が家もこれに倣って門松を外した。商店や大企業の玄関にあるあの立派な過で松ではなく松の枝にシシバと称する木の枝シデ紙を挟んで荒縄にからげたもんです。正月の風物詩やったけど最近んは絵に描いたものも出てきた。まぁその家がよければいいのであった、細かいことをいう時代やないし、、これで正月気分を一掃して新たなる年を頑張っていこうということなんです。和具浦に停泊していた中型漁船も間もなく出港するのか東南アジア系の外国人が町を過l歩していた。男は漁師女は海女として栄えた漁師町、漁船祈る人が多くそれゆえに漁船も多かったけど、今は乗組員募集の船が多く、外国人を確保しなければいけない時代です。、、私は昭和生まれでいいときに船に乗って、小僧から船長までして、おかげで船員厚生年金がもらえた。これがよかった、、、今志摩沖の水温は17,9度少し沖に行くと19度からの潮があってトンボやカツオがにぎあってきました。、、、よろしくです。

鏡開き

今日11日は鏡開きである。床の間や神棚、船に祀ってあった鏡餅を下げた。東北出身の妻が料理をするらしいで、、国内の行事かもです。私が少年の頃は、大体やけど午前4時ころに起きて磯際に神床をこしらえて供えてくれる海女さんが拝んだ後、みなもらえてたくさんのオモチを家に持って帰って喜んでもらえた。今のような飽食の時代やないで神床をこしらえるのも必至やったんよ。もちろん昭和の時代の話で、、旧暦の正月の時代であったから、、母親が生まれて育った越賀地区は的を作って弓矢で悪病退散をしていたのも記憶している。昭和が遠くなって令和の時代もう浜を祀る人も少ないし、、何より新年に大漁旗を掲げた船も少なかった。時代の流れでその人が良かったらいいわけですから、、、でもこういう行事が消えていくと昭和生まれで頭が固くなってきた吾輩は一抹のさみしさがあります。、、、本年もよろしくです。、、、、

謹賀新年

あけましておめでとう。

昨年はたいへんお世話になりました。本年もよろしくお願いします。地球の温暖化による高水温、黒潮の大蛇行などによる海流異変など、取り巻く環境は厳しいけど頑張りますのでよろしくです。昭和の年号に生を受け物心ついたのは国破れて山河在りの時代で、、熊野灘の北東部に位置し四面海に囲まれた半島です。男は漁師女は海女として栄えた町で、、皆が皆編みだくじのような人生を歩むうちに海に向かっていた。  本年もよろしくです。

10月に入った。

月日の巡りは休みなくで、10月に入った。衣替えの時期で、季節は晩秋やけど日中はまだ暑い。昨年頃から夏は猛暑ならず炎暑で日中の気温は高く最低気温も25度を超えて寝ぐるしい日が多かった。今年もそうやったけど、彼岸明けから日中の温度はともかく夜は割合眠れるようになった。諺にある「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、夜が眠れることがよくなった。夏の炎天下に今年は冬が来るのだろうかと案じたときまあったけど、、、よかった。彼岸を過ぎて日の出が遅くなったので出港時間も遅くなっています。もう炎暑の時期ではないです。出港すればそこそこの魚と、秋の青物の魚が回遊してきて竿をしならせています。よかったら、、、

厄日

人それぞれ厄日がある。私の厄日は今日9月26日です。熊野灘の北東部に位置し、南北に短く東西に長い此の半島の中央部に近く浜から切り立った崖の上に古色蒼然とした我が家があった。昭和34年9月26日は土曜日であった。台風15号が接近し上陸するとポンコツラジオが放送していた。午前6時ころ家の雨戸を潜り抜けて海を見ようと出た。灰色の雲が南東から東方面から吹き流れて全天を覆うようにすごい速さで雲を流していた。海は猛り声を挙げるように白波をあげて崖にかじりつくようにしていた。ひと回り年上の隣の兄が「よく見ていろよ、お前が学校から帰る頃は家がないど」と、脅かすように語っていた。大体やけど、旧暦の満月ころで朝夕が満潮時であった。風は強かったけど学校に行ったらそのころから豪雨になってきた。1時間目の授業が終わりかけていたこと校内放送で緊急職員会議で先生が教室を離れた。雨と風の音で私語する生徒はいず雨かさが増す校庭を眺めていたら先生が戻り臨時休校になった旨を伝え隣の小学校に兄弟の居るものは連れて帰るように指示された。急ぎ小学校に行き妹と弟を探して、弟を背にして妹にカバンを持たして3人が連なるようにして帰った。母親は普段海人漁に徒どとして他の人と乗り合いで働いていてその船頭が夕方海を見に来て、これはみたこともないような台風や、家がだめやと思ったら我が家の網小屋に避難するようにと助言がありその時はお願いしますと答えた。台風の風は反時計回りに回る。北側の山から降ろす風は厳つく石の上にのしてある我が家の柱を持ち上げて倒そうと、皆の者が体重をかけて押えようとすれど大自然の力に抗いがたく惜しみながら我が家を捨てて網小屋に避難した。母は強かった。家財道具を持ちながら子供たちを抱くようにして横殴りに体に当たる瓦のようなものを避けるのに皆に布団をかぶせて、、我が家の家族が避難して安堵したのもつかの間隣の家族も避難してきて、合わせて三所帯十五 人が南無阿弥陀仏と唱えながら台風が通り過ぎるのを待った。大体やけど、、午後9時過ぎに風も収まり雲もちぎれてその間から月が出て、母親と家を見に行ったら横倒しになっていた。 翌朝網小屋を出て倒壊した家屋の隙間から引き出せるものを引き出し朝食を作り皆で頂きそれから学用品や衣類を出して乾した。この写真が後年作成された 志摩町史の災害のページを飾っている。 丁度思春期のことやったで忘れがたき思い出となっています。乱文乱筆は  飲みながら書いていますでご容赦を、、志摩沖水温27.3度イサキやマダイが上がっています。、、、よろしくです。

防災記念日

今日9月1は防災記念日だそうだ。大正12年の今日関東大震災があって多くの方がなくなったそうです。年月も歴史の中の話で大都会のそのころは想像もできない「生まれていないから」我が家の近くから出た中学の教頭先生に教えてまらった。それから幾多の災害が我が国を襲って、色々覚えては霞んでいく。が、昭和34年の伊勢湾台風は忘れられない。ちょうど中学生であったので、昨日のことのように覚えています。だから私にとっての防災記念日は今日でなくその伊勢湾台風が上陸した日です。恐ろしかった。以後台風と名がつくと逃げることを念頭に置く。この台風10号も「正午頃に熱帯低気圧に変わったが」早々と警戒して波のない英虞湾の適当な場所にアンカ-を入れて停泊している。風はともかく波がないので枕を高くして休んでいますが、天候が不安定で何も仕事ができない。図書館に行っていろいろな本を読んでいると言えば聞こえがいいが若い頃のように集中力がなくすぐ飽きろ、眺めているようなものです。そういうわけで長期に休んでいますが台風警戒です。落ち着いたら前に回ってきますのでよろしくです。皆さんも災害に注意してください。

盆の行事も終わって

盆の行事も20日でもって終わった。熊野灘の北東部にあって四面海に囲まれたわが故郷の盆の行事も終った。コロナ過で3年間中断して、、、この間静かでいいからもうしないほうがいいという意見もあったとか、、、でも海洋民族で、男は漁師女は海女として栄えた漁村では先祖供養もしていかねばとの意見が多く月遅れ盆の13日から15日までの3日間の踊りでそれも午後7時から午後10時30分までと決められた。、、私が子供の頃は旧のお盆で月末から9月に入る時もあった。それも13日から20日まで、、、特に20日は徹夜踊りもあってものすごくにぎあっていました。。。娯楽の少ない時代やったで、、それも古き良き時代の流れであった、、、子供が小学生の時にptaの役員をした時があって他市から来た先生たちと夜回りを兼ねて見物に行ったとき先生方が、、これは三重県有数の踊りやねえ と驚いていたのを記憶しています。新喪の方々ののぼり旗を立てて一族郎党が一心不乱に、、時には仮装して踊っていました。、、時代は変わって令和の今、盆踊りがうるさくての苦情もあるという。そしてこれだけ猛暑ならず炎暑が続くと外に出るよりエアコンの効いた部屋でテレビを見ているほうが、、、いろんな意見があります。、、、今志摩沖水温は27.7度で陸地よりしのぎやすいけど、、魚もそこそこ食っていますがやがて北上してくる台風でどうなるのか?。皆さんも台風情報に注意していてくださいねぇ。

半夜釣り

昨日数年ぶりにお客さんのリクエストで半夜釣りに行った。デッキに水を打ち氷を満載して午後3時に出船した。通常のイサキ場で大き目のイサキとマダイを揚げ土産十分にしてから熊野の山に夕日がかかったのを確認してからポイントを移動してアカイカ釣りに専念した。日が隠れて夕闇が迫ると星々が照度を増す。天空に夏の大三角形、東にカシオペア、西北西の空に北斗七星,南西の中天に蠍座が輝きかけた。子供の頃に聞いた話やけど、北斗七星の外側に当たるメラクとツウべという星はその角度によって時「時刻」を図っていたという。大宇宙を時計版にしてその角度で子の刻や丑満時とか、、、我が家の隣にガマンの丘というところがあった。「令和6年6月末で閉鎖」ここで老人が学校を卒業したら船に乗るのか、、ならば星を覚えないかんと、、教えられた。船乗りに星は必要やから、、以来幾星霜三っ児の魂百までやないけど幼少時に教えてまらったことをまだ覚えている。、、午前便もあって家を出たのが三時観天望気をするに星を見たらオリオン座が昇ってきていた。盛唐の詩人杜甫が人生相見ざることシン「オリオン座」とショウ「さそり座」の如しと詠んだけど同一天上に登らないので人生の妙に考えられている。よかったら、、星を見るだけども価値はあると思いますが、、、

初夏の嵐

昨夜から南の強風を連れて雨が降っています。横殴りです。瞬時のうちにずぶぬれになる雨です。熊野灘の北東部に位置し南北に狭く東西に長い此の半島は南寄りの風雨に弱い。3月25日に口開けがあったアワビやサザエの海女漁に行く海女も何日も行っていない。休みばっかです。泣く子と海象には勝てんものねえ、、、久方ぶりに図書館に行き本を借りてきて読もうとしています。年齢的にか本を読みかけると眠くなってきて本を掘り出して寝ている自分に気が付く。晴耕雨読の心境やけど、、若い頃はなんでもなかったが、歳とともに体力が弱ってきているかもです。予報では明日からしばらく晴天が続くみたいやで頑張ります。今志摩沖沖合で鰹のにぎあいがあるけど漁は少なめで安いのでこぼす漁師がいます。暇になったら本船も行ってお世話になっている方々に贈ろうと思うけど、、、と雨を見ながら思っています。