今日は東日本大震災が起こった日です。強風で出船せず朝からテレビを見ているとこのニュースを流していました。あれから15年の年月が流れた。何度も書くけど、我が妻が東北ですのでやや落ち着いてきた日々に車で予備のタンクに油を満載して走った。現実に目にしたときは間違ってどこかの国に来てしまったように思えた。俺の知る東北はもっといい街やのにと何度も思った。公衆トイレに立ち寄った時にだれが書いたのか、復旧もトイレも今一歩前に、と書いてあって、東北人の根の深さを思った。見渡した残骸の近くに桜花が蕾で北風に抗っていたのを記憶しています。妻の関係者は」内陸部であったので被害は少なかったけど、、、あれから15年です。この辺も南海トラフとか言われていていつ起こっても不思議でないと、、できることは備蓄で飲料水や食料をしてあるが何時どこにおる時に起こるかわからんものねえ、、でも、頭の中に少しでも高い所へ、、、と覚えています。、、今志摩沖は低かった水温が少しずつ上がってきてこの間は16.4度ありました。もうすぐ春です、、、
旧正月
今日17日は旧正月です。神社に参拝する方を見かけました。熊野灘の北東辺にあって四面海に囲まれた男は漁師女は海女として栄えたこの町は昭和35年頃までこの旧正月で正月の行事をしていました。多くの年が立春過ぎてからであった。分家組は親も子供も盛装して親元に行って祝うのが常でした。親は親同士杯を重ね世間話をして、子供たちはいとこ同士が輪になって遊んだ記憶があります。普段の食事がお粗末やったのでこの日の食事は豪勢に記憶しているのは少なくなったように思う何故なら令和の今はあまり聞かないから、、時代が変わったんやろうか?。 今志摩沖この間まで14度台の水温やったのが今日は13,4度でした。そのためか魚ちゃんが喰い渋って貧果に終わらせまし。ごめんなさい。
2月に入った
二月に入った.一日が初午で、三日が節分、今日が立春と飲む日が続いています。よくこんなに飲めるものかと思いながらも飲んでいます。子供の頃、飲ん兵だった父親に愛想をつかした時もあって、おら大きくなっても酒など飲むものかと思ったが、酒量は親父を超えています。寒けりゃ寒いで飲んでと、色々理由を付けて、、、行事も多いでそれに合わせて、、
今日は久方ぶりにかかり釣りをしました。水温は14,4度、暦の上では寒さ極まって春の気が立つ立春ですが海をちょっと遅れて春めいてきます。よかったらイサキを釣りに来ませんか?。
鏡開き
令和8年も開けたと思ったらもう11日 この日は鏡開きで床の間や神棚に供えた餅を下げて餡餅や雑煮で頂く日です。熊野灘の北東部に位置し四面海に囲まれた漁師町は半世紀前まで男は漁師女は海女として栄えた町です。それ故にか、この日は、海岸の岩場に3か所の神床を作り海女さんらが海上の安全と大漁満足を願って供えるもちを頂く日です。国破れて山河在りの時代に物心ついたわが身は、早寝早起きの体時計を作り、未明に海岸に行って神床を作って供えてくれた餅を家に持ち帰り皆で食したときがあった。今は昔で、もうそういう行事も薄れたと思う.正月3が日船に掲げる大漁旗も掲げる方は少ない。時代とともに簡素化もいいど風物史が薄れていくのは寂しい限りである。今日は風速も強まり波も高く休んでいますがこの間出船したときは水温が16・3度ありました.やがて鰹やビンナガがこの沖でにぎあった来ると思います。、、、よろしくです。
令和8年年頭
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
十二支で言え 午年だそうです。何事もうまくいくの年で健康で頑張っていきますのでよろしくです。8年近く続いた黒潮の大蛇行 終息したみたいでこれからの漁業 どうなりますのか見つめていきたいと思っています。よろしくです。
和具の手捏ね飯
未明からの大雨で何することもなく雨粒を見ております。古来より、雨の日は何もできないことが多く、そのためか晴耕雨読なる言葉がある。5月に入ってから雨の日が多くよく降る。港に係留してある船を見に行き、スーパの食品売り場を見ると 大きい字で和具の手捏ね飯とあった。熊野灘の北東部にある和具の町は男は漁師女は海女として栄えた漁師町で古来より手捏ね飯が有名です。旬のカツオを醬油につけて食べるあの飯です。聞いた話では、八丁艪で漁に出た小舟で短時間でできる飯だったそうで、、、カツオを刺身にしていちいち醬油を付けるのは面倒や、飯も時間持ちするように酢を打っておけ、いっそうのこと混ぜて食べようとして始まったともいわれる。事の真偽は知らないが漁師町やであったかも、、令和の今、県をというより全国屈指の飯やと思う。一度食べに来ませんか?。 今年はカツオが多く上がります。黒潮の大蛇行が終息したんでしょうか?。八年近くつずいたもんねえ、、そのためか我がカネヤマのホームグランドでもあるカネヤマ瀬のイサキも喰い立ってきました。よかったら、、
初夏の嵐
未明から降り出した雨は12時間以上たった今でも降り続いている。風は東から時計回りに吹き、南に変わってから強めになった。いつもの日課で朝、港に係留してある船の安全を確かめに行く。魚市場の前を通るので車窓越しに市場を見ると職員も暇そうにしていた。この時化では上がるものも少ない。地球の温暖化と、海流異変(黒潮の大蛇行)と言われて久しい。さらに燃油の高騰が漁民を苦しめています。私がこの仕事を業としたときはリッター35円(免税)であったものが126円やもんねえ、、、 嵐で何処へも行くことなく家の中から降りしぶく雨粒を眺めながら思うことしきりです。でも前に向かって思えばいい休日だと思わぬでもない。今風向きが北西に変わった。低気圧が去ったのでしょうか?。これから日和が続いてくれることを願って、、、今志摩沖の水温は17,3度1年でいいときに入ります。よかったら、、、
時化
午前3時ころ,燦燦と輝くお月さんを黒雲が隠し、雨が滴ってきました。雨は足を強弱させながら今も降っています。北東から南西の風に変わっても、、、この風雨で満開になって散り始めた桜もほとんどが散ることでしょう。でも、今年はいつもの年よりも多く桜を見ました。志摩半島の西端にある御座の不動尊や布施田の公園、登茂山や阿児町のふるさと公園、、石垣に桜が合うので田丸城址まで走った。そのかいあって多くの桜を見ました。その桜もこの時化で、、、歳をとると寒いのは苦手になって、早く春が来ないかなあと祈るくらいやった。桜とともに気温が上がって、木々の下でほんわか気分になって人生の今を楽しんだ。 日曜日で多めの客が入っていたけどこの時化では勝てずに中止して休んでいます。車窓から眼前の布施田水道を見ると高波が白波を立てて陸上に向かっています。漁師泣かすにゃ刃物はいらん時化の3日も続きゃいいと言いますがよく言ったもんやと海を眺めて思っています。
桜便り
我が家が購読している新聞は午前4時ころ郵便受けに入る。沖に出でる日は午後見るがそうでない日は午前5時に見ます。彼岸前には寒くて、今年は春が来るのだろうかと案じていましたが彼岸を過ぎてから急に暖かくなって春らしくなって来ました。昔の人が語る 暑さ寒さも彼岸までとはよくぞ言ったものやと新聞を見ながら感心しています。その新聞の気象欄に桜便りというのが書いてあります。ここ東海の有名な桜の名所公園を羅列して、つぼみと表記してある所が多かったけど今日のは2から3か所で咲き始めとあった。ここ3日前くらいから気温が高めに推移しっているからかなあ。道端の桜の木々も色ずいてきました。沖合から、鈴鹿から立ち上がって紀州まで続く紀伊山脈を見ても麓のほうが色を付けてきました。頃は春、花見の肴はありますか?。志摩沖の水温は16.7度少し沖に行くと18度台の汐があってカツオやビンナガ漁のにぎあいがあります。、、、よかったら、、、
春の嵐
昨日の昼過ぎから南東の風に誘われて降り出してきた雨は夕方には豪雨となって、正午頃小やみになったが夕刻の今はまた土砂降りになっています。春の嵐です。船の見回りに行って安全を確かめたけど、仕事もなんもできずに、暇を持て余して雨脚を見ながら叩いています。この間の春闘で大企業が軒並み満額回答をして社員の意気を高めたと報道されていた。あくまでも都会の大企業の話で地方の末端の会社までのことではない。まして、高騰した燃費と魚価の低迷におびえ生活防衛に悪戦苦闘している漁民の若手には他人の花です。黒潮の大蛇行、温暖化による高水温、が、漁獲の減量につながっています。熊野灘の北東部に位置し、大王崎を東端にして西に延びる前島半島。男は漁師女は海女として栄えた我が里の多くの先達は海に向かって船出した。沿岸から沿海、そして遠洋へと。地元に水産高等学校があって、幼児の時に姉に摑まって、姉が唄を歌いながらお手玉をしていて、見ながら聞いた。、、もしも私が男なら水産学校卒業して 七つの海に羽ばたいて 末は船長か漁労長 と。聞きながら俺ァ男やで水産学校出て船長になるぞと思ったもんです。遠くインド洋から南アフリカの沖まで,、、領海がが12海里やったから灯台は勿論街の明かりが見えるところで操業したときもあった。時代が時代やったで船位決定はほとんどが天測であった。ありがたいことに大過なく過ごされてきました。いま窓を打つ春の嵐を見ながら叩いています。、、、よろしくです。
